大○大のゼミに出席。

Subjectification: Various Paths to Subjectivity (Cognitive Linguistic Research)

Subjectification: Various Paths to Subjectivity (Cognitive Linguistic Research)

この本の最初に収録されている、SubjectificationについてのLangackerの新しい論文を読んで議論、というものだった。

ちょっと前は、同じことを違う角度から語っているだけ、と言っていたLangacker、
今度はTraugottとの違いを前面に押し出すという手法で語っている。
その意味では、正しい見方に変わったと思う。(しかし、後の述べるように、いろいろと発言間に齟齬は生じている)

物凄くぶった切ってまとめると、Langackerは「認知の主体」という観点、Traugottは「話す・聞く主体」という観点の重要性をそれぞれ論じている、と言える。

Langackerは、話者・聞き手、という役割の別を越えて、言語使用者に共通の概念化能力に着目する傾向が強い。つまり、「話者」対「聞き手」の間の関係よりも、「認知の主体」対「認知の客体」の間の関係を殊更に強調する。それゆえに、Langackerの言うSubjectivityは、徹頭徹尾、視点の問題になる。認知の客体に対する、主体の立ち位置(vantage point)がどこにあるか、という観点から、一種の「関係」的な概念としてsubjectificationを規定する。

Traugottはその全く逆で、ある認知主体がどのように対象を認知するかといったことよりも、実際にある言語表現が発話者によって用いられ、聞き手によって解釈される、というinterlocutor同士のインタラクションの中で起こる、言語表現の意味変化のメカニズムとして、subjectificationを位置づける。


面白いのは、Langackerは、自身の定義するSubjectificationを、「意味変化のためのメカニズムではない」と言い切り、「元の意味と、拡張した意味の間の一種の関係を描写・要約するもの」であると言う。なんだか、分かるようで分からない、というのが正直なところだ。そのような概念を規定しておくことは、なるほど、認知主体の認知プロセスについての研究には有用かもしれないが、言語分析にとっていかほどの意味をもつのかが少し疑問だ。

更に、ある言語表現がsubjectiveになる、という意味でのsubjectificationと言っているのではなく、ある表現の背後にある概念化過程で、どの要素がsubjective(またはobjective)に捉えられている(construed)か、という意味で言っているのだそうだ。・・・が、これもちょっとしっくりこない。上と同じ感想をもった。言語の意味分析にどの程度結びついてくるのかが見えにくい。

「大事なのは、そういうプロセスが背後にあるということを確かめること」とLangackerは言うかもしれないが、少なくともこのプロセスだけで「十分な」説明には辿り着けない。その上、意味に直結していない部分を語るわけだから、検証が異常に難しい(少なくとも言語現象を睨んでいるだけでは検証できない)。
ここに、reference-point constructionと似た宿命を見出せる。適用範囲が広すぎて、それぞれの現象が持つ個別の特徴を十分につむぎ出すには至らない上に、別々の現象を一つの原理で統一的に説明している、という実感も得られない、というパラドックスが生じてしまうのだ。

他にも、疑問点はある。はじめのほうで、本動詞からモーダル助動詞への意味変化のプロセスを捉えているときには、客体に主体が取って代わるというrealignmentで説明していた自身の古い定義に近い観点から説明しているのに、後で出している空間認知や移動に関わる表現のところでは、認知主体はずっと一定の位置を占め、認知の客体の側の情報が変容することで結果として主体性の度合いが変わる、という新しい定義に立脚している。説明対象によって、場当たり的にシステムが変えられてしまっているという印象をぬぐえない(これは別の出席者も指摘していたことなので、あながち勘違いではないだろう)。

結局のところ、客体の側にあった「客観的情報」に対応する情報(つまりモノの移動など)を読み込む操作については明確にできるが(客観的情報により逆規定されているため)、客観的な情報に対応するものが見出しづらい、話者の信念や態度、判断などの情報については、寡黙にならざるを得ない。そしてそういった情報を細やかに扱えない限り十分に説明したとは言えないモーダル助動詞などの領域に入った途端、歯切れが悪くなったのでは、というのが個人的に思ったところ。

・・・疲れた。要するに、LangackerのSubjectificationは、その適用範囲を空間内の位置関係に関するところまでで止めておくのが良策ではないのかと思うわけです。


(※上記の内容は、基本的に既出の文献で論じられている内容をmusicienなりの観点を少し盛り込んで焼き直しただけのものです)


たまには研究してる人のブログっぽくしてみました。
明日からまた薄味に戻ります。