「一日30時間あったなら!」みたいなことを言ってしまうのが人の性(サガ)だが、果たして本当に30時間になったとして、我々は増えた6時間をどのくらい有効に使うだろうか?(もちろん、自分だけが30時間になって他の人は24時間のままになった、という設定。全員30時間になったら意味がない)


・・・というくだらないことを考えた結果、答えは「NO」だと思った。
「まあ、6時間余分にあるし」と思って油断して、結局密度の薄い時間の使い方をしてしまうに違いない。
それは、早め早めの行動を心掛けようとして時計を5分進めたところで、結局見た時刻から5分引いて時間を認識してしまうあの感覚と似ているかもしれない。


では、6時間増えたことに気がついていなければよいのだろうか?
しかし、そうだとしても、どうやって本人以外の人はその事実性を特定するというのだろう??時計は24時間用のものであるはずだ。増えた6時間はどう認識されるというのか。その人にとっては時計の1秒が現実の0.8秒分に相当するようになるのか・・・?


頭が痛くなってきた・・・。


結論:ある人にとって一日が30時間になったとしても、本人・周囲の人間ともにその事実を認識できない。(独我論?)