• 来週担当の論文を、精読している。所々、言葉遣いが曖昧でルーズだったり、話の流れがギザギザだったりする。その上、ガツンとした分析は特に提示されていない。コーパスを利用しているだけあってデータは豊富だが、全体としてwell-organizedとは言いがたい。反面教師にしたいところだ。・・・などと偉そうなことを考えるようになった自分に驚く。修士時代は、どんな論文でも、必死にならないと読めなかったし、どれも同じくらいしっかり書かれたものなんだと思い込んでいた。無知・経験不足は怖い。
  • そういえば、昨日の演習の論文も、あまり良いとはいえないものだった。Lakoffを懸命に批判するのだが、批判しっぱなしで代案は書いていない。しかもその批判も、大変抽象的なレベルのみにとどまっている上に、どれだけ好意的に考えても的を射たものであるとは言えない代物だった。極端に批判が先行する論文に良い論文はあまりないという個人的な認識がこれでまた強化された。
  • それでふと思った。自分がこれまでしてきた研究のほとんどは、先行研究をダイレクトに批判するというものではなく、「先行研究では〜ということは何故か扱っていない。だからここで〜について議論する」というタイプのものだ。
  • 何にせよ、Lakoffみたいな凄すぎる人を事実レベルではなく概念レベルで批判するのに全精力を費やすぐらいであれば、まだ人があまり踏み込んでいない現象やそれへの説明概念をときとめて、「Lakoffでもここには手が及んでいない。しかし俺はやった」と言う方がよっぽど建設的な気がする。