こういう一致(共通性)を見つけ出すとなんだか得をした気分になる。

世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏の如く、日のあたる所には屹度(きっと)影がさすと悟った。三十の今日(こんにち)はこう思うている―喜びの深きとき憂愈(いよいよ)深く、楽みの大いなる程苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片付けようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖えれば寐る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。脊中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……
夏目漱石草枕新潮文庫, p.6;括弧内のルビはmusicienが付しました)

歓びというものは、いつも、より多く求められるものでありながら、ある臨界点を超えると、とたんに煩わしいものに転化する。快楽が少なすぎれば不満が昂じるのに、いったん飽和状態に達すると、快楽そのものが苦痛に変わってしまう。歓喜に酔いしれた後に訪れる白んだ気分を、悲嘆に暮れたはてに陥る麻痺状態から区別するのは、案外むずかしい。
鷲田清一『モードの迷宮』ちくま学芸文庫, p.8)