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- 作者: 阿刀田高
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アンドロマケはピュロスの愛を拒否しながらも、その台詞の一つ一つを細かく吟味すると、ピュロスの愛をさらに激しくかきたてるような、そんな媚態を巧みに滑り込ませている、というのだ。
故意か、偶然かはわからない。
だが、男である私には、女性のそうした手管がわからぬでもない。そうした仕打ちを受けた記憶がないわけでもない。
女は自分を恋している男に対して、その愛を受け入れるつもりはさらさらないくせに、それでもなおなにほどかの媚態を示すものだ。そこに女の本質的なコケットリイがある。残酷さがある。違うだろうか?(pp. 41-42)
- 作者: 阿刀田高
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悪女というのは、なぜか魅力的である。
いや、いや、この表現は定義においてまちがっている。魅力的だから悪女なのである。ただ単にわるいだけの女なら、悪女ではない。わるい女であるにもかかわらず、それを一瞬帳消しにしてしまうほどの魅力を持っている、それが悪女なのだから。(p.132)
どうもこの人は、女性に関しては実にいろいろな経験をなさったようだ。
僕もこれまでの人生で「悪女」には二〜三人ほどお目にかかったことがあるような気がする。確かに阿刀田氏の上の記述のような振る舞いをなさっていた。もう少し付け加えるなら、彼女たちはおしなべて実に奔放に、常に思うまま好きなように行動し、迷いというものがない。そしてよく笑う(しかもいろんな種類の笑いを巧みに使い分ける)。*1
それはそうと、後半の引用の「わるい女」という表記に興味がわく。「悪い女」ではなく「わるい女」。漢字とひらがなではconnotationがまるで違う。漢字だと単に悪いだけであるように感じられる。ひらがなで「わるい」と書くと、そこにポジティヴな含意が発生する。同じ事は「人」と「ひと」にも当てはまるように思われる。例えば「なんて悪い人だ…」と「なんてわるいひとだ…」を比べてみるとよくわかる。悪女の虜になった男のセリフとしては後者の方が圧倒的に相応しい。
*1:ただし、僕は阿刀田氏とちがって「仕打ち」を受けたことはありません。別の人が受けているのを傍で見ていたことがあるだけで。