昔、少しだけ手話をやっていた。今でも街中で手話で話していている人を見かけるとつい盗み聞き(盗み見?)したい衝動に駆られてしまう(いかんいかん)。それに、話しながらふと気がつくと一部の単語に手話が付いていた、ということがたまにある。(黙っていたらジェスチャーと変わらないからもちろんほとんど人には気づかれませんがw)

それはそうとして。
そういう背景があるからかどうなのかはわかならいが、たとえ健聴者同士の会話であっても、何かを手で表現したりしながら話している様子を見かけるとちょっと気になってしまう。そうやって見てみると、結構人って手振りを使って話しているものだなぁと思う。

で、ちょっと思い立って、今日したことを手話でやってみたりなんかした。あまり苦労せずに言葉が出てくることに驚いた。一応ある程度身についているものだな・・・正直、伝達力そのものは英語とあまり変わらないかもしれない(英語に費やしている日々の努力って一体・・・)

しかし、通訳者などの「使い物になる」手話の技術というのは、本当にすごかった。一瞬にして「これは無理だ」と確信したのをよく覚えている(はは・・・)。自分が自然な手話を表現するのもかなり難しいのだが、それよりももっと激しく厳しいのは「読み取り」(←音声言語で言う聴き取りのこと)。とにかくネイティヴの手話は早いのだ。そして、音声言語でそうなるのと全く同じように、手話表現もかなりくずれたり、省略されたり、縮約されたりするからたまったものではない。その上、音声言語間の通訳とは違って、視覚情報と音声情報との間の変換をしなくてはならないから、相当疲れるのも早い。

・・・しかし、何故突然手話のことを思い出したのか・・・謎だ。