もしも今の倍ぐらい自由に英語が喋れたとして、自分は皆と同じぐらいよくしゃべったか、と考えてみた。答えはNOだった。自分が、起きている時間のうち何時間かは一人で過ごす必要がある人間であるということに気づかされた。会話力の向上を遅らせている要因の一つは間違いなくこの傾向だろう。というか、たとえ日本語であっても、「社交」という局面においては自分はきわめて限られた言語能力しか発揮していないのかもしれないという疑念すら出てきた。そして、自分の中でcan't speakとdon't speakの違いが分からなくなった。