村上春樹に、「青春三部作」(英語ではThe Rat Trilogy)と呼ばれる一連の著作がある。


風の歌を聴け
1973年のピンボール
羊をめぐる冒険


の三つのことを言う。
どの著作にも主人公「僕」と主人公の友人「鼠」がいる。

どの作品も個人的にとても好きだ。
しかし、三部作とはいえ、『羊をめぐる冒険』と前の二作は少し雰囲気が違っている気がする。
『羊〜』には、明確なストーリー性がある。ミステリー性もいくらかある。前二作にはないものだ。
しかし、前二作にあって『羊〜』にないものがある。


「印象深い箇所」とでも呼ぶべきものだ。

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風の歌を聴け

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」(p.7)


「あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。
僕達はそんな風にして生きている。」(p.147)


1973年のピンボール

「ひとつの季節がドアを開けて去り、もうひとつの季節がもうひとつのドアからやってくる。人は慌ててドアを開け、おい、ちょっと待ってくれ、ひとつだけ言い忘れたことがあるんだ、と叫ぶ。でもそこにはもう誰もいない。ドアを閉める。部屋の中には既にもうひとつの季節が椅子に腰を下ろし、マッチを擦って煙草に火を点けている。もうし言い忘れたことがあるのなら、と彼は言う、俺が聞いといてやろう、上手くいけば伝えられるかもしれない。いやいいんだ、と人は言う、たいしたことじゃないんだ。風の音だけがあたりを被う。たいしたことじゃない。ひとつの季節が死んだだけだ。(pp.40-41)


そして、僕はこういう箇所に出会える小説のほうがそうでない小説よりも好きだ。