凡才のなすべきこと

Talmyのような天才には到底なれない、自分みたいな凡才が研究者としての命があるうちにしておくべき仕事は何かを考えてみた。

①ある現象(orある言語)について、徹底的な記述をしておく。

他人にとって壊し甲斐のある理論なり原理なりを組み立てて提案しておく。

③天才たちの仕事を読み解き、凡人にも理解できるように解説しておく。

これぐらいだろうか。

・・・
解釈者になる能力と創造者になる能力の間には、実は恐ろしいほどに相関関係がないのかもしれないと思うことがある。
まず、とんでもなく価値のあるアイデアを提出する人の論文や本は、概して先行研究の検討に充てられている分量が極端に少ない(Wittgensteinの『論理哲学論考』が好例)。
そして、どんな論文でも発表でもその内容を的確に捉え、問題点を指摘できてしまう人なのに、その人自身の研究はあまりパッとしないということも多分にありえそうだ。
グレングールドは、演奏家としてはバッハを中心に「硬派」なものに多大な才能を発揮したが、作曲するときはロマン派的なものを書いたようだ(言うまでもなく、作曲家としては全く注目されていない)
坂本龍一氏は、涙が出るほど美しい旋律や和音を作り出すが、ピアノの演奏の実力は、ピアニストのそれからは一歩隔たる(その上手すぎなさが僕は好きですけど・・・♪)

ルービンシュタインの「ショパンは私を必要とした」というセリフも思い出されてくる・・・

そういえば僕は、アイデアが出ないことよりも、出てきたアイデアを上手く人に説明できないことで苦労した経験の方が多い。
・・・ということは、創造者(=天才)系・・・?(はい、勘違い!)