「捉え方・解釈(construal)」や「使用・用法(usage)」についてちょっと時間を割いて考えてみた。つまり、解釈や使用は文法から与えられるものではなく言語使用者が担うものなのだという、当たり前の―しかしともすれば忘れがちな―事実に行き当たった。「文法規則によって使用が決定される」のではなく、「使用のために文法規則が維持・改変される」という発想の転換。Langackerが懸命に訴えたかったのはこの一事に尽きるのではないかと思った。