近頃暇を見つけてはCase Grammarについての古典的論文(Fillmore 1968)を読んでいる。割に「書きっぱなし」系な上、僕は初期の生成文法をよく知らない(今のも全然知らないが・・・)ので、「なぜそこでそんなことを力説するんだ?」と思うところが多い。しかし随所に散りばめられた考察や問題の指摘は刺激に満ち溢れている。解決の仕方が変わってきているだけで、問題意識そのものは昔からほとんど変わらないということなのかもしれない。