最もドラマティックなピアノ曲である(ただの私見ですが)
「Scriabin Etude Op. 8-12」の聴き比べ:

ホロヴィッツ


スクリャービン(作曲者自作自演)


ラフマニノフ


キーシン

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ド素人の個人的な勝手な感想:


ホロヴィッツ
強烈なインパクトのある解釈で、最も心揺さぶられる。が、作曲者の意図という観点からするとやや難があるのは否めない印象が。良くも悪くも、独自の世界で出来上がり切ってしまっている。でも、それでも、この演奏が一番好きで一番よく聴いているのだけれど。ホロヴィッツが異様なほど人気があった理由がよくわかる演奏のひとつ。


スクリャービン
文句の言いようがない。こう弾くために作ったのだから。
・・・というのはまあ冗談として。スクリャービンの他の作品にも通ずる独特の風合いが随所に見られる。左手の低音と高音との間にタッチの強弱の差がおそろしくなくて、それが逆説的に大きな感情の迸りを表現し得ているように思われる(もちろんピアノの品質も関係しているのだろうが)。そして終結部の加速が神憑り。もはやホロヴィッツが人間臭く聞こえるほどに。


ラフマニノフ
動画のコメントにもあるが、本当にラフマニノフが弾いているかどうかはちょっと疑問である。が、ともかく、スクリャービン自身の演奏とは恐ろしく対照的な解釈なので、面白いと思って選んだ。ラフマニノフスクリャービンは同時代に活躍したが、作風は全く正反対だったらしいことを考えると、これが仮にラフマニノフによる演奏でないにせよ、ある意味で極めてラフマニノフ的な演奏であると言うことはできそうだ。全体のテンポもそうだが、特に終結部が全く違う。フッと消えるように終わる(あるいは「途絶える」)スクリャービンに対し、こちらの演奏はきちんとした「フィナーレ」を演出している。


キーシン
上の三つに比べると、あまり個性が見えない。技術的には申し分なく、多くの挑戦者(あえて「演奏者」とは言わないw)に見られる、後半の「くたびれ」も殆どない。まだまだ若いということなのか、あるいは、あまり解釈を入れる余地がないと思っているのか。なんにせよ、これがとてつもない難曲であることを改めて実感させられた演奏。