暑さを忘れるには、いい音楽に限ります。
今日、重宝したのは「美貌の青空(→YouTube)」。


かな〜りマニアックな曲だけど、知ってる人(=マニア)は大抵好きだと思うなぁ。「1996(→アマゾン)」のアレンジ以来、すっかりはまってしまった。


(余談)
「最近の教授は、冒険していない」とか、「懐古主義に走ってる」みたいな感じの嘆きを目にすることがあるが、以前にも少し書いた(→リンク)ように、こういう言明には批判的です。作品至上主義。
芸術家を求めるのではなく、ひたすらに芸術作品だけを求めていけばいい。誰がそれを作ったかは、二次的な要因と考えておくべき。


たとえば、最近キース・ジャレットの作品をよく聴いているが、何から何まで文句なく良いとは決して思わない。例えば「Staircase」などは、個人的には他に比べると何かがちょっと物足りない。「Radiance」も、聴きたくなる曲が多くないという意味では、少し疑問符がつく。


坂本龍一についても、同じ。
「音楽図鑑」などが最高傑作という呼び声には賛同するが、「B-2 Unit」などは未だに理解に苦しむ。一部の「玄人」には大層評判がいいらしいが、これだけは未だにどうしてもダメだ。いっぽう、そういった玄人には評判がよろしくない「星になった少年」などは、文句なく素晴らしいと思う。美しいと思う。


↑これってつまり、「坂本龍一の音楽の本当の魅力を知らない」ってこと?


・・・馬鹿馬鹿し。


単に、ある作品があって、それが「良い」と思えるか、そうでないか。それだけだと思う。
「B-2 Unit」を良いと言えばサカモトについてよく知っていると思われて格好いいんじゃないか、とか、あんまり「柔らかい」音楽を褒めすぎると、しれたリスナーと思われるんじゃないかとか、そういう意識がどこかにある人って(坂本龍一リスナーにかぎらず)、案外多いんじゃないだろうか?


ファンはファンでも、作り手ではなく、あくまで作品のファンでありたいと思う今日この頃です。